早くも堕ちた、若禿げの鬱日記

22歳にして人生堕ちました。 ここはそんな禿げの、毎日の鬱っぷりを晒して行く場所です。

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12/28

「決められたリズム」井上陽水
良いですね。


コメント返し。

>>返信に返信を重ねるのはご迷惑かと思ったんですが、
基本的にいくらでもかぶせてオッケーです。
過去記事でいくらでも重ねまくってますので。
書きたいときに書きたいことを書いてください。
私への返信もしてもしなくてもどっちでも良いです。
そこらへん完全自由です。
>>要は、私が軽作業よりも負荷の多い仕事をしていたと。
>>そういう現実だけです。
強烈な一言ですね。「そういう現実「だけ」です。」本当に。
社会ではそれがまかり通るものということでしょうか。
私も覚悟します。



改めて言うまでもないし、前にも書いたかもしれませんが。
私は生かされている。いまだに。
毎日のように夫婦喧嘩の絶えない両親から、1日でも早く、1メートルでも遠くに離れたくて、浪人してまでこっちに一人暮らしを求めた。
せこいやり方ですよね。
自分は何も出来ていない。
モラトリアム人間だ。
また遠回りするのか、それはモラトリアムを内包してるからこそ甘えと焦燥を生む。
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  1. 2006/12/28(木) 01:45:19|
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  3. | コメント:17

12/20

厳しい。
ワーキングプア?。
  1. 2006/12/20(水) 00:55:44|
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  3. | コメント:4

12/16

私はこのブログ出口なり内面で思ったことをつらつらと書いてきましたが、当然外ではそういうスタンスではいれんわけです。
大体の人はそうなんだろうと思うんですけど、一人でいるときに何か考える、主により自分のこととかより抽象的な概念について考えることはあるんだろうと思う。
適当にブログを回ってみればそういう思考はよく見かけるので、いることはいる。
逆に外での日々をつづったブログもある。
人は外で、誰かと関わる時には一人の自分とは違うと思う。
仕事なり、学校なりそのグループの中での「自分」となるんだろう。
二つの自分はやはり違うものか。同じスタンスでやれる人いるのか。
そういう二つの世界があってその境界って何か不思議だなぁって思った。
どっちを本当の自分に置くのか、どっちも本当の自分か?
一人の思考世界を外にもって来ても(外における外の自分が)おかしくならない(はじかれない)のは、芸術家とかサービス業、メディア、コンテンツ業界とかくらいかな。

二つの世界が別世界に感じる。
  1. 2006/12/16(土) 16:36:32|
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  3. | コメント:16

12/9

もっとしゃんといえるようにならないとな。
ずっとだまてるとあっちをつらくさせるだけでめいわくだ。
さいていげんのたちふるまいがあたりまえにできないにんげんはひととしてどうだ。
  1. 2006/12/09(土) 08:45:49|
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  3. | コメント:18

12/8

そろそろ限界かなと思ったりする。
今の道が楽しくないのかな。
能力的に限界なのもそうだけど、何より楽しいかどうか。

今日は真珠湾攻撃の日だ。
戦争か、生きたくても生きられなかった人がたくさんいた時代。
これといってやりたいことが挙がらない俺は代わりに死ねたら。
彼らに失礼なのは分かっています。

何で生まれてきた。

なんかブログの趣旨と違ってきてるけど。
  1. 2006/12/08(金) 06:33:48|
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  3. | コメント:0

12/3

普通の人って何で死の話しをしないというか、するのに後ろ向きなのだろうか?
別に人に死を強制するわけではない。
そんなに重いことなのか?

例えば、老衰で余命いくばくもない老人と親しい仲だったとする。
身内でも近所の方でも良いだろう。その方と、
自分:さいきんどうですか、
老人:結構体が動かなくなってきたワイ。そろそろ終わりのころかねぇ。
自分:そっかぁ、じゃあ時期に寂しくなるね。
と、病院なり自宅で寝ている所での話の一部にこういうやりとりがあるのってどうしておかしい?

例えば同年代の友人と、
何歳くらいで死にたい?俺は長く行きたいなぁ。
そう?俺はそんなに長く生きなくて良いかな。
そっか、先にいったらしっかり見取ってやるよ。
おう、頼むよ。
など。

もちろん死は悲しいし、涙するのは私もそう。
それに望まずの事故なり、殺人なら話は別だけど、そうでないのなら、悲しいながらも、それはそれで良い結論なのではないだろうか。
死ぬことって生まれることと変化としては同じことだと思う、ただ変化する向きが違うだけで。
それなら生まれるときと同じように扱ってもいいのではないだろうか。

この世界ではそういうことはしてはいけない雰囲気だし、常識はずれな考えなのは一応分かるので、しませんが、思ったので書いてみました。
  1. 2006/12/03(日) 05:19:48|
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  3. | コメント:2
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